四方山多様化と一極集中 もともと日本人は他と違うことを嫌う傾向はあって、長い物には巻かれたい、そんなところがあるかと思います。しかし一方で十人十色などという裏返しのような言葉もあって、常識的に考えれば全体的傾向はともかく個人の嗜好が全く同じというのは考えづらい。 昔のように人々が興味を覚える対象が少なければある程度の一極集中は分かります。しかし今の世は多様な時代。選ぼうと思えばいくらでも自分の嗜好で選べます。にも関わらず一極集中の状態が出てくる。個人の嗜好は本来広がりを見せているはずなのに、メガヒットが出るこの矛盾。 僕が初めて嗜好の無理矢理な重なりを覚えたのは音楽CDからでした。猫も杓子もベストアルバムをリリースしていた時期に、日本のCD売りあげの記録をもつB'zがベストアルバムを発売。その後宇多田ヒカルなど含め社会現象ともいえる大ヒットを飛ばしたわけです。 1000万枚の売り上げはどう考えても異常。広告戦略の賜かもしれませんが、それにしたって異常。 本当に欲しくて買った人は当然いるでしょうが、話題だから飛びついたという一過性の方も大勢いるのではないでしょうか。僕はこれが非常に怖い。 選挙での、支持政党がなく、そのときの趨勢でどちらへでも転ぶというのに似ているかもしれません。趨勢を見てと言えば聞こえはいいですが、日より見的で、当然責任をとることもない。 本当にそれだけの一致した回答があるのだとすると、思想の統一もなされてしまうのではないか。多かれ少なかれ今でも結局そうですが、メディアに操作されるのではないか。その恐ろしさがあるわけです。完全なる意志統一の怖さ。どこかの国のマスゲームのように。 全員が同じ方向を向いているという状態は何らかの操作がされている、そう思ってしまいます。自然な姿であれば視線はまちまちなはずですから。 みんながこうしているから自分も、という選択はそろそろ卒業でいいのではないでしょうか。自分の嗜好くらい自分で決めるべきで、絶対の自信も必要なく、私はこれを選んでいる、という不動の部分が少しくらいあってもいいのではないかなと思います。 前のページへ戻る | ||