四方山言葉の乱れの原因の一つ 言葉は時代とともに変化して行くものだから、今更若い者の言葉遣いがなっていない、とめくじらたてていうほどのことは実はない。変化は当たり前と考えるのが自然だ。 しかし変化するといっても、変わってはいけない部分もあって、変わったことによって、礼を失するようなことは避けねばなるまい。 僕が学生の頃は公私によってその辺りを使い分けていますという人はいた。年上の方からすると、使い分けられていないという状況だったのかもしれないですが、書き言葉と話し言葉の別くらいはなんとかなっていた割の方がまだ高かったように思う。 その割が今では確実に逆転しているように思う。話し言葉と書き言葉がが入り乱れる。 文章にならない。書き出しと文末の呼応が合っていないことはざらだし、意味が通らないため読みようがないこともある。作文で顔文字を使われたのには驚いた。 小学生でならば分かるが、中高生でこれは痛い。むしろ場合によっては中高生の方がひどいというのだから堪らない。 その原因はいうまでもなくメールの普及。話し言葉によるメール文章のやり取りが行き渡った結果、言文一致がおこりそれが定着したわけだ。 保護者に、うちの子は文章書いたり意見をまとめることが下手なんですがどうすればいいでしょう?といわれたことがある。 前者の原因は文章作成力の欠如なのだけど、それはメールのしすぎだけではなく、いい文章を知らなかったり、考えをまとめる機会がないといったことも含む。アウトプットするには原因が一つということはない。 ただその一つとして、メール発達による、言文一致、言葉の乱れはあるでしょう。メールするなとは言えませんから、名文を読むことも同時にしないといけないでしょう。 なお、親しい知人にも敬語でメールする僕は僕で嫌がられますので、何事も程々が良いのでしょう。 前のページへ戻る | ||