四方山


愛の鞭の是非
暴力の種類にいいも悪いもなく、暴力は暴力に過ぎない。 というのが一応の僕の立場。

では、暴力もう少し広げて体罰とは何をもってそういうのか。 これは人によってまちまち。 廊下に立たせることは精神的苦痛も伴った体罰であり、 授業を受けられない弊害も生むという人もいる。 (ならば教室の後ろでたっている分にはその弊害は消えるのか) その辺の線引きが曖昧である以上は 暴力の種類にいいも悪いもない。

そこでよく出てくるのがスポーツなどでもよく聞く言葉。 愛の鞭、というもの。 指導の対象を思うがあまり手が出るというもの。 分からんでもないです。 怒りに任せて手を上げるよりは。

しかし、冒頭の僕の定義に反するわけです。

現実問題に目を向けると、 昨今、生徒に先生は舐められています。 何をやっても怒れないと。 そういう場合には毅然とした態度であるべき。 叱る場面ではきちんと叱る。

そこに愛の鞭なるものが出てくるかはともかく まずはダメなものはいつでもダメ、 という3歳の子に教えるようなレベルを 学校の先生も実践してもらわないと。

そこで、そのような場面に愛の鞭が登場するとして、 怪我をさせるのは行き過ぎた指導となるのは 誰の目にも明白。

やはり、そこは冷静に叱りとおすだけの鉄の意志が いるのでしょうか。 愛の鞭を振るうにせよ。

行き着くところには僕の最初の定義はあります。 教育の目的はそういった暴力などにはよらないものです。

だから、究極的には淘汰していくべきもの。 とはいえ、舐められてはいけないから 毅然たる態度は常に持ち合わせていなくてはならないこと。

叱り通すことができず、 感情をむき出しにしてしまった行き過ぎた指導そしてしまう先生。 毅然たる態度で子どもに臨む姿勢と 弱者に対してお山の大将的に振舞ってしまった姿勢との差を 理解もしていなければ 考えもしていない先生。

こういう方はやはり先生をすべきではない。

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