四方山分からないのはいけないこと? 一つの失敗が命取りになることも間々あるでしょうが、子供が勉強していく仮定は失敗の連続のはず。極論すれば、失敗から学ばなければ先はない。 かといって失敗したくてウズウズしているわけではありませんから、子供ながらにうまく行くように願ってやまず、失敗したら恥ずかしいと思う子供の方が多いのでないでしょうか。ここで悔しさや恥ずかしさを味わうというのは、実はかなり重要で、失敗が当たり前でなんとも思わないようでは大変よろしくないと思います。 さてここで、猛烈に怒られたとすると、恥ずかしく悔しい上に、さらなる鞭が飛ぶことになりますから、必要以上に責めるのはいかがなものかと思います。 学びの場は義務であろうとなかろうと、分からないからくるわけです。最初から分かっていればバカバカしくてやっていられない。つまり、分からないことは、罪ではない。分かろうともしないで分からないというのはまずいですが、一所懸命やった結果分からなかった場合、それは罪とはいえないのではないでしょうか。 教え方がまずくはなかったか、別のアプローチはなかったか、子供の集中力はどうだったか、色々あると思います。いずれにせよ、分からない、と言うことは罪とはいえないと思いますから、むしろ言わせるべきなのだと思います。 分かった?と聞けば、はい、という返事がだいたいですが、では本当に分からせたのか。説明させてみれば分かりますが十中八九無理なはず。子供にも分からないと言ってはいけない、とりあえず「はい」と言っておこう、そんなことが多いのだと思います。教える側も手を変え品を変え教えるのが面倒だったりして、はいと言ったからいいや、と流してしまうこともあるのではないでしょうか。 学ぶ段階ではいくらでも失敗していいじゃないか、そんなスタンスからは程遠く、成果を求める。低学年層はかわいそうだからと成績を大甘につけるくらいなら、本当に成果を最初は求めないくらいの大胆さでもって、失敗してもいいんだよ、の一言があってもいいのではないかなと思います。 分からないのは罪ではない。隠してもどうせばれます。だったら分からないことをはっきりさせて、学ぶ姿勢をつけた方が、ずっと良いと思うのですが、いかがなものでしょうか。 前のページへ戻る | ||